ここで紹介しています曲は平成11年(1999)に千葉工業同窓会が作成したCDです。
下記はCDパンフレットからの引用です。
はじめに
回想歌・応援歌作成機運のなかで、同窓会会長安藤信吉氏が「回想歌・応援歌に関する特別委員会」設置を提案し、鶴岡富久氏を委員長に、小林一臣氏を事務局長に委嘱して発足した。
この特別委員会において回想歌・応援歌の調査研究されCDに収録される経緯に至った。
それぞれの経緯は次の通りである。
1.千葉市立千葉工業学校 回想歌について
我々の母校は、千葉工業学校時代を含めて三たび校地を移転したため、三つの校歌を持つ。
しかしながら発祥の地である港町校地の校歌がなく、このときの卒業生には一抹の寂しさを払拭できずに今日に至っている。
平成9年(1997)同窓会副会長の湯浅正彦氏が、母校の創立60周年を契機に、当時を偲んで回想詩を千葉市中支部会報に発表した。
この詩を見た同窓生から、「この詩を歌にして後世に残そう」との機運が高まり、同窓会会長安藤信吉氏の委嘱を受け鶴岡富久氏(S24E)が作曲したものである。将に同窓会の手作り歌であり、既に存在する千葉工業高校のオリジナル曲である8曲に加えて、永久に保存するものである。
2.千葉県立千葉工業学校 応援歌について
検見川校地時代の応援歌で、その時代の資料に歌詞は載っていても譜面が掲載されていなかった。
同窓会の中でも記憶している人は少なく、あまり歌われずにいた。同窓会副会長の森章氏がある機会にこの曲を歌い、これを聴いた事務局長の小林一臣氏がこれをテープに収録し、いつかこれを譜面に残そうと考え機を待っていた。
このたび市立千葉工業学校回想歌を作曲した鶴岡富久氏に、この曲もテープを基に譜面化することを依頼してここに完成したものである。
3.千葉県立千葉工業高等学校 応援歌について
県立千葉工業高等学校の応援歌は三曲あるが、いずれも譜面がなく先輩から後輩へと口伝で歌われてきた。
故に同窓生の中でも、年代の差により部分的に歌い方に相違が生じており、そのためにこれらの譜面化の必要性がさけばれていた。
植草光春氏(S27C)が、この状態を憂慮し、自ら母校に赴いて正調を披露した。
これを鶴岡富久氏立会の下、千葉工業高等学校教諭である宮本滋先生が編曲し、完成したものである。
1.市立千葉工業学校 回想歌
作詞・湯浅正彦(S16C) 作曲・鶴岡富久(S24E)
1.
遙けき世代 流れ来し
都川面に 影流す
学舎の明り 灯りたり
化学の道を 拓かんと
若き学徒の 集いこそ
その名ぞ 市立千葉工業
2.
歴史に秘めし 君待ちの
橋に往時の 風薫る
県都に輝く 新星は
近代科学究めんと
向学の意気 いや高き
その名ぞ 市立千葉工業
3.
理想を追いて いざ行かん
今さきがけの 旗の本
情熱の火を かきたてつ
未来に光 求めんと
誇りに燃ゆる 若人よ
その名ぞ 市立千葉工業
2.県立千葉工業学校 検見川校歌
作詞・大木 惇夫(あつお) 作曲・乗松 昭博
1.
見よ、北総の輝きを
検見川台に地を占めて
工(たくみ)の業の旗じるし
翳(かざ)すわれらの学舎、これぞ
2.
袖師ヶ浦の潮風に
心も身をも鍛へては
工の道に挙(こぞ)り立ち
国に報いん健児よ、われら
3.
生気の嵐襲う時
我等の使命いや重し
生命の火花ちらしなん
若き工の戦士よ、われら
4.
見よ、ダイナモは胸にあり
振る魂のハンマアよ
無線の塔を高空に
仰ぐ希望の光よ、われら
3.県立千葉工業高等学校 津田沼校歌
作詞・松村 又一 作曲・細川 潤一
1.
紅燃ゆる 久々田の海に
匂うは汐風 我らが希望
見よ見よこの海 この青空を
学びの業こそ 果てなく広し
いざいざ究めむ 若人我等
千葉工業 千葉工業 我等我等我等
2.
文化の華も 祖国の富も
つくるは我等ぞ その責重し
見よ見よこの眉 誇りに燃えて
目ざすは栄ある 工業国家
いざいざ励まむ 若人我等
千葉工業 千葉工業 我等我等我等
3.
学びの庭に 意気溌剌と
肩をば叩きて 我等はゆかむ
見よ見よはるかに 輝く富士を
これこそ我等が 理想の姿
いざいざ学ばむ 若人我等
千葉工業 千葉工業 我等我等我等
4.県立千葉工業高等学校 生実校歌
作詞・澤田 繁二 作曲・清水 脩
1.
遠き世の 政の庭のあとどころ
ああ緑濃き 生実の台に
まなびやは そそり立ちたり
伝え来し 歴史の上に
あらたなる 研学の日を
千葉工業 千葉工業 さらに重ねん
2.
まむかいに 冨士の根望む ひとところ
ああ風薫る 生実の台に
若人は 集い来れり
こころざす 科学の道に
ひそかなる 情熱の火を
千葉工業 千葉工業 いまや灯さん
3.
この海は 世界の潮 寄るところ
ああ窓明き 生実の台に
われらみな 未来をにのう
ひたすらの 努力ののちの
たくましき 飛躍の朝を
千葉工業 千葉工業 ここに迎えん